遠い故郷に父母兄弟、友達を置いて、馴染みのない日本に来て15年。この間変わった事と変わらない事といえば、変わったのは私の人生であり、変わらないのは私の心です。
朝鮮で農民の子供として生まれ、両親の愛情を受けて育ってきましたが、20代になってからは食糧事情悪化のため、常に空腹で過ごしました。1日2日でなく、何年も続く空腹を経験した人でなければその苦痛を理解できません。空腹は人間の本性、義理、道徳を自然と消滅させて野生動物に変えてゆきます。
そんな私に、想像もできなかった日本に行ける人生の航路が開きました。夫の従兄を始め、北朝鮮難民救援基金の暖かな方々の助けを受けて、私たち家族4人は無事に「地上の楽園」に来て暮せるようになりました。

食物、停電、火をたく心配がなくなった幸せ
日本に到着して初めの一月くらいは総てのことが幻のようでした。一番良かった事は、明日、あさっての食べ物を心配しなくても生きられるという事でした。もちろん私の手には金も家もありませんでしたが、朝鮮にいた時のように着実に熱心に働けば空腹から抜け出すことができるだろうという安堵感でした。
そして二番目に良かったことは火をたく心配、山に行って薪木を取る心配をせず、24時間停電がないことでした。
日本に来て最初の一年は、難民基金や知人たちから家庭に必要な中古家電製品や服、食べ物をたくさん送って頂き、本当に生活に大きな助けになりました。新品でなくてもあらゆる物を備えると金持になった気がしました。
最初の1年は夫が建設会社で働き、月給を持ってきましたが、それも2年目からは会社の仕事がなくなり、収入が全くないまま数ヶ月間生活していくことになりました。その時が日本にきて一番金銭的に大変でした。
それで、道端に捨てられていた自転車を夫が修理して乗って街を回り始めました。 野菜の値段が一番安い店を探し、ホウレンソウ、チンゲン菜などを買っておいしく料理し、シラジ汁と野菜のおかずと白米のご飯をお腹いっぱい食べながら生活してきました。米、塩、味噌、醤油、油、野菜だけあれば朝鮮の生活に比べて、うらやむことがない生活でした。
日本生活15年の中で最も少なかった生活費は一ヶ月5,000円でした。この金額で一ヶ月生活できるかしらと信じない人もいるでしょうが本当です。
3年目に日本にいる韓国人牧師と知合い、いろいろと助けを受けて働き口も得ることができました。夫と私はきつい仕事、汚い仕事の区別なく、清掃の仕事から始めました。

コンピュータを習って、民宿を経営
このように4年間熱心に仕事をする過程でマンション管理人の仕事を引き受けることになり、その延長で空室を利用して韓国人を相手にする民宿も始めることになりました。
無鉄砲にも民宿に関した知識がなく、北朝鮮人が日本で韓国人を相手に民宿をすることがどれくらい難しいのかも知らず、家族一緒に始めました。しかし、初めの1年~2年は5部屋でしたが、なかなかお客さんが来ませんでした。
その頃から私はコンピュータを習い始め、ウェブサイトを立上げ、韓国旅行会社と連係して、広報する活動をしました。話し上手な夫も韓国から日本旅行にくるお客様に、色々な観光コースを韓国語で親切に説明して注目を集め始めました。
3年目からは部屋数を徐々に増やし、今は20を越える部屋で多くの観光客と小貿易業のお客様を相手にこの仕事をしています。
多くの方々が私たちを見て「成功した」という話をしますが、私は成功したと考えません。ただ一日一日を変わりない気持ちで最善を尽くして生きてきただけであり、初めて日本に来たときの心のように、いつでも朝鮮にいる兄弟に比較すれば私は恵まれているという気持ちで生きてきたからだと…。
私は大切な50代を人間らしい人生、充実した人生を享受しながら生きていることを感じるようになりました。このように変化した私の人生の道をより一層新しく広げるために、数多くの韓国の良い友達と良い縁を結びながら、一歩一歩と歩いて行きたい。
一度燃やして消えて行く人生、遠い将来にどのように生きるかでなく、今現在やり甲斐があり楽しい人生を生きるために変わりない心を抱いて生きていくことだと………。
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