3月28日にミャンマー中部を襲ったマグニチュード7.7の地震は、能登半島地震の2倍ものエネルギーの巨大地震だった。筆者の住むタイ・チェンマイは震源から約500キロ離れているが、ここでも震度4程度の揺れがあり、ゆっくりとした周期の横揺れがしばらく続いた。市内の一部の高層建物にひび割れや内壁の剥落等が生じたが、震源から遠いことから死傷者もなくこの程度の被害で済んだ、と言われている。 首都バンコクでは、いくつもの建物にひび割れや内壁の剥落が生じたほか、建設中のビルが崩壊して死者89人、行方不明者7人となる惨事が起きた。 一方、震源のミャンマー・マンダレー周辺の被害は甚大だった。多数の死傷者が発生したが、被害の真の全容は1か月以上が経過した時点でも明らかでない。丸1か月目の4月28日時点で、ミャンマー軍政当局は死者総数を3,769人と発表している。しかし、とてもこの数字をそのまま信じる訳にはいかない。 軍政当局、被害実態掌握できず 民主派、少数民族勢力が対抗 理由は、ミャンマー軍政当局には、軍政が掌握できていない地域の被害を集約する十分な術を欠いているためだ。実態はこれをずっと上回るのは確実だ。 ミャンマー国軍は2021年2月に軍事クーデターを起こし政治実権を掌握した。これを容認しない民主派や少数民族勢力に対して国軍は武力攻撃し、対立と内戦が激化した。ミャンマー内戦は現在も混迷の一途をたどっている。その結果、現在軍政が実効支配出来ている領域は、ミャンマー全土の約3割程度とも言われる。 国際支援の到達を妨害 そして伝わってくるのは、国軍が今回の大震災の発生後も、民主派や少数民族勢力に対して空爆や攻撃を続けている信じがたい実態、国軍がこれら勢力の支配地に対する国際支援の到達を妨害している、実に由々しき実態だ。 例えば、ミャンマー少数民族統治勢力のひとつ「カレンニー進歩党」(KNPP)は、タイと国境を接するミャンマー東部・カレンニー州(カヤー州)を根拠とするが、震災発生翌日と翌々日にも同州内が空爆されたとの報告が、同党から私にあった。 ミャンマーがこれほどの大震災に直面しながら、国軍が発災直後から現在に至るまで空爆と攻撃を継続し、一方では国際社会に支援を呼びかけながら現場では妨害している非人道的な姿勢には、強い憤りを感じざるを得ない。 停戦宣言すれど攻撃は中止しない、空爆は続く 軍政側は4月から5月に、震災復興を名目にして複数回の停戦を宣言したが、実際には国軍は攻撃を中止しなかった。私がKNPPから得ている報告でも、4月中にはカレンニー州内が計11日・15回も空爆にさらされ、一般市民が標的となって死傷者が出ている。 現在私達有志の間では、医薬品をタイ側からカレンニー州側のクリニックに複数回寄贈し、国境ミャンマー側の山岳地帯に点在する簡易クリニックに身を寄せる内国避難民の医療の便に供している。信じがたいことに、KNPPによればミャンマー国軍は、こうしたクリニックにすら空爆を行っているという。 トランプ政権、国際援助を停止、USAID(国際開発庁)を閉鎖決定 ⁉ このような中で伝わって来るのは、日本への期待だ。背景には米トランプ政権が、USAID(国際開発庁)による国際援助を停止し、USAID自体を閉鎖して国務省に吸収する決定をしたことがある。USAIDの援助はミャンマーの少数民族統治勢力の民生支援にもきめ細かく届いていた。援助は直ちに停止された訳ではないが、この数カ月の間に徐々に打ち切られてゆくことが予想され、現地では非常に大きな痛手と受け止められている。そして今回の震災である。 これに代わる役割を日本に期待する声が、今年2月以降、私が現地のミャンマー少数民族関係者に会うたびに伝えられていた。震災後にもその声は続いている。 米国が抜けた隙間に中国が入り込む懸念、少数民族関係者の期待 米国が抜けたすき間に中国が入り込む懸念も言われる。実際、中国は震災直後にすぐさま救助チームを送り込みプレゼンスを示した。ただ、中国の援助は政府間の大規模援助が中心だ。米国や日本がやってきたような、草の根レベルのニーズまできめ細かく拾って支援を提供するシステムを有していないので、中国にはUSAIDの撤退にすぐさま丸ごと取って代わるような体制はない。 だからこそ、予算規模や支援の奥行きは別にして類似のシステムを有し、ミャンマーに一定の支援実績を積み上げて来た日本に、ミャンマー国民の期待の目が向くのは、ある意味で当然だろう。 どう動くか、日本に突き付けられた試金石 こうした状況で日本がどう動くかは、日本に突きつけられた試金石といえる。もちろん状況は困難だ。軍政当局が国際援助の采配権を握り、民主派や少数民族の支配地への救援人員や物資のアクセスを妨害している下では、この姿勢を転換させない限り出来ることは限定される。日本政府の大規模支援は、国際赤十字や国連機関に資金や物資を割り付ける方法を取っているが、軍政の影響力や中抜きされ戦闘資金になる懸念を極力減らすためには致し方ない方法であろう。 民間で可能な動きも大きく制限されているが、私が重視しているのは、少数民族地区へのミャンマー国外からの越境支援だ。詳細は省かざるを得ないが、小規模民生支援を重ねて行くことで手堅く実効性を出しつつ、ルートを培養して行く考えだ。■ 編集部 注 この原稿は筆者から「北朝鮮難民救援基金NEWS NO.130」(2025年5月号)として掲載する予定でしたが、紙数の関係で掲載漏れが生じたため、当基金のホーム頁に掲載することになりました。そのために発表時期が遅れたことをお詫び申し上げます。
韓国統一部の公開資料を調べたところ、今年第1四半期の脱北者データーは公開されていませんでしたが、マスコミには公表されたようです。
4月18日付「朝鮮日報」記事を翻訳しました。
脱北者の救援報告LFNKR-Helping Hands-Korea/ 2024/July 北朝鮮難民救援基金は脱北者の救援活動を続けております。 これまでコロナの感染症の蔓延のために活動を抑制しなければなりませんでしたが、 7月22日に安全圏への誘導に成功したとの知らせを受け取りましたので 朗報の報告をします。 今年の4月、 脱北者3名の救援に使用するため、...
対北風船飛ばしの中断は文在寅と金正恩の“4.27板門店宣言”からだ。北朝鮮同胞は後回しで、一握りにもならない統治者同士だけの宴会のためだ。対北ビラ禁止を初の首脳会談開催条件にした金正日の要求を受け入れた金大中政権の時もそうだった。そして核を開発しながら米ドルを持って来いと言った。民主化指導者という華やかさの中で、金大中の頭には、目と耳を覆われた貧しい北朝鮮国民はいなかったのだ。 こうした政治を信じられず、脱北者として初めて対北風船を開発、試みたのが2003年からだ。この過程で最大の障害物が政府だった。北朝鮮と関係が良いときは対北風船を飛ばせなくして、悪いときは許したからだ。進歩政権はもちろん、保守政権もやはり五十歩百歩だった。人権、人道主義運動は、政治妥協の対象にしてはならないという原則的政策がないのだ。さらに北朝鮮対南工作部門でもできない「対北ビラ禁止法」が2020年に強行制定されたのが韓国政治の現実だ。 一方、京畿道の李在明知事は職権を乱用し、資格証を有し国家認証を受けた合法風船であるにもかかわらず、違法だとして強制領置まで強行した。サンバンウルを通じて北朝鮮にお金を渡した事件が示しているように、北朝鮮に良く見せようという事なのだ。一方、北朝鮮スパイまたは従北分子は監視カメラ作動中にもかかわらず、風船飛ばしに使う車両に放火して廃車にさせられた。
2022年3月、在日ミャンマー少数民族のリーダーから相談を受けた。ヤンゴンで警察官をしていた中尉の一家4人が、軍事評議会に反対しCDM(市民的不服従運動)の民主化運動を支援し、デモに参加したために、シャン州の少数民族軍との戦闘地域に人事異動に名を借りた派遣が決まった。他のCDM参加者も刑務所に行く恐怖の統制が社会全体にまん延していた。...