1959年から84年までの帰還事業は、北朝鮮政府が「地上の楽園」との宣伝を朝鮮総連と一体になって繰り広げた一大事件であった。日本政府、すべての日本の政党、マスコミが同調して北朝鮮体制の賛美の雰囲気が醸成され、6730人の日本人配偶者を含む9万3000人が北朝鮮に渡った。
自由民主主義の日本から社会主義の国にこれだけ大量の人間が移住することは歴史上他に例を見ない。帰国すれば、「人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」とバラ色の夢が語られた。しかし実際は1953年朝鮮戦争の休戦からわずか4年の段階で、「帰国運動」が組織され始めた。帰還者は底辺の労働力として、灰燼に帰した北朝鮮の建設に動員された。「帰国者」は悲惨な運命をたどった。
在日帰還者は、一部の総連幹部や有力商工人を除いて炭鉱、農村、工場に配置された。それに北朝鮮は、社会主義を謳いながら身分制度があり、支配階層の核心階層、動揺階層、敵対階層に分類され統治の道具に使われた。「帰国者」の「出身成分」は最下層の「敵対階層」として扱われている。北朝鮮社会の身分制度、生活習慣に適応できない帰国者は、「政治犯収容所」に送られている。
2014年にUNの人権理事会が任命した国連調査委員会(COI)が「北朝鮮人権報告書」を発表し、北朝鮮の人権侵害が「非常に深刻で、広範囲にわたり、組織的に行われている」人道に対する罪と指摘している。この状態が60年以上にわたって続いている現在進行形の重大事案なのである。
2019年はこうした事態が始まった年から数えて60年目にあたる。深刻な人権侵害は未解決のまま進行している。
2006年に「北朝鮮人権侵害対処法」が国会で成立し、北朝鮮人権侵害に対して政府、地方自治体が積極的に取り組むこととなった。それ以来、毎年12月に「北朝鮮人権侵害啓発週間」が設定され、政府主催行事、地方自治体主催行事、NGO主催行事が行われ、拉致議連や拉致被害者家族会などが問題解決に取り組んできた。
2019年は北朝鮮への帰還事業から60周年ということから、日本全国で様々な行事が多彩に行われ、例年にない盛り上がりを見せた。
11月13日には民団中央本部が主催して「北送」60年歴史的検証特別シンポジウム、「記憶を記録する会」が13日大阪、17日東京新宿区早稲田大学でシンポジウム、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」主催で「田月仙さんと映画上映会と講演の集い」が22日に東京新宿区箪笥ホールで行われた。
12月に入ると7日、東京千代田区専修大学で朝鮮総連の下で活動した呉文子さんを招いて「帰還事業60年講演と鼎談の集い」を「守る会」が主催した。12日には帰国運動で北朝鮮に渡り、脱北後韓国に定住した「北送在日僑胞協会」(李泰炅会長)の16名が衆議院議員会館で日本のNGOの「守る会」「北朝鮮難民救援基金」「NO FENCE」と日韓共同で記者会見、13日「北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟」(IPCNKR、共同議長中川正春衆議院議員)と韓国NGO「ムルマンチョ」日本のNGOの「守る会」「北朝鮮難民救援基金」「NO FENCE」の三者によるシンポジウムが衆議院議員会館多目的ホールで行われた。
このほか14日、15日拓殖大学を会場に「北朝鮮に自由を、人権映画祭」が行われたのが注目を引いた。これら以外に新潟市で帰還事業60周年の行事で北朝鮮の人権問題の改善、北東アジアの平和祈願を行った団体、新潟大学経済学部が主催した、東ドイツの情報公開で得た帰還事業の背景報告などがあった。
また、山口市で北朝鮮難民救援基金が初めて展示ブースを披露した。NGOの取り組みはこれまでにない豊富な取り組みであった。
政府は十分な予算を背景に国際シンポジウムを行った。拉致議連は家族会と共催で拉致問題の一日も早い解決を訴えた。