8月16日、午前中、オンラインで弁護団会議に参加してほっと一息ついているところに福田弁護士さんから「『公示送達』が張り出されたので東京地裁へ来てください」と電話があり、慌てて家を飛び出した。
私は裁判に対する知識がなかったので公示送達というのはポスターのように大きな紙に書いて裁判所の中のどこかに張り出されるのかと思っていたが実際に行ってみるとそうではなかった。
弁護士さんについて裁判所の壁に沿って回っていくと外に公示送達をはりつけるスペースがあってその中の右側の一番下に二枚の紙が張り出してあった。
目を凝らしてその文書が私達の裁判に関する書類であり10月14日に口頭弁論が行われるとの内容を確認した時、私はこみ上げてくる涙を抑えることができなかった。
「ああ、やっとここまでたどり着いた」
2018年8月20日に5人の脱北者がひとり1億円、合計5億円の損害賠償金を懸けて北朝鮮政府を相手取って東京地裁に提訴をして3年、その間土井香苗さんをはじめ弁護団の先生方の努力はいかほどのものであったか。
又、17歳で北朝鮮へ行って辛く厳しい43年の日々を送った後、命がけで脱北を敢行し、それでも生きて日本へ帰って来られた奇跡。
そして生きて帰って来た以上は、生きて帰って来た者としての任務を果たそうと必死で過ごしてきた日々。
あれもこれも全ての事が一緒くたになって頭の中をぐるぐる駆け巡って考えを纏めることができない。公示送達が事前に知らされなかったので、その場には数人の記者さんたちがいらっしゃったが、その方達の質問にもしどろもどろにしか答えられないありさまだった。
わたしがなぜ裁判を起こしたのか?
まず、私は個人であれ、団体であれ、またどんなに強力な国家権力であろうとも一人一の自由や人権を踏みにじることは出来ないし、それを犯した者は法律によって裁かれなければならないというのが私の持論である。
次に93,340人の在日コリアンと日本人妻を不幸のどん底に叩き込み、今日まで往来の自由さえも認められていない現状を何とか打開して、生きている内に日本へ帰りたいと望みながらも命の期限が切れて亡くなっていく人達を最後の一人でも救うために。
三つめはこの裁判によって、北朝鮮の人権侵害はどこの国の法律にかけても犯罪であることを世界の面前に暴き出すことによって北朝鮮崩壊の一翼を担うために。そして私が生きている間に、北朝鮮独裁者たちを引き摺り下ろして、生死の確認も出来ないでいる私の子供たちと孫たちに再会するめに。
このような幾つもの理由で私たちは3年の月日をかけて裁判を起こし、裁判が行われることになりました。皆様、10月14日、口頭弁論が行われる東京地裁に集まって応援してください。
よろしくお願いいたします。
2021年8月20日