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北朝鮮で経験した私の大学試験~李民馥(リミンボク)(風船団長)さんのFBから~

北朝鮮で経験した私の大学試験

 韓国で修能(大学修学能力試験)当日は大騒ぎだ。北朝鮮にも受験がある。修能とは言わず、大学ポント(대학뽄트)を得る試験という。私は、1974年2月に大学に進学する試験を受験した。私が住んでいた平南道恩山郡では、郡内三校の高等中学校が試験場だった。

 

  学校では試験前に「試験の点数順位によって中央大学、地方大学に推薦される」と宣言した。中央大学は平壌の大学を意味し、最高峰は当然金日成総合大学であり、次は金策工業大学、軽工業大学、外国語大学の順だった。

 

 試験結果、1番は私と仲良しで一緒に夜を通して勉強したムン・ヨンチョル(大阪から来た在日同胞)で、2番が私だった。ムン・ヨンチョルの第一志望は金策工大で、私は金日成総合大学だった。そのため私は金日成大になるはずだった。

 

 しかし、3月の大学進学生の名前発表では私の代わりに試験点数がずっと下の軍幹部の子どもたちが占めた。私の名前がないので、学生はもちろん先生も驚いた。私は面目がなくなった。成績順で良い大学に行くと宣言したが、嘘だった訳だ。韓国ならば大騒ぎになり、違法だとして間違いなく宣言した人は刑務所に入れられるだろう。北朝鮮ではそうならないが、北朝鮮でも世論が悪くなれば是正措置がある。まず、学校の先生たちが立ち上がった。

 

 私の父は中央党に申し立てると言った。事態が深刻になるにつれて、あわてて大学ポントを追加で出したのが金日成大学でなく金策工大だった。禍が転じて福になったのだ。

私の元々の希望は電子工学だった。思い通り金策工大半導体工学部を受験することになった。その後、農業方向に変わった経緯は長すぎるので、ここでは省略する。

 

私が経験した、脂汗を書いた北朝鮮大学入学試験

 韓国では修能で大学進学が決定される。北朝鮮では大学ポントを得るための試験を行い、高順位に入らないと大学の受験資格を得られず、得られたら該当大学の入学試験を別途受験しなければならない。入学は入学試験で決定されるのだ。

 

 大学入学試験は筆記試験と面接試験がある。金策工大の筆記試験で記憶に残るのは物理の試験で、「半導体とは何か」という問題だった。日頃よく学んでいたので、学んだ本のように具体的に書いた。とても運がよかった。

 

 大学入学試験は筆記試験より面接試験が決定的だ。筆記の点数が良くても面接で不合格なら終わりだ。筆記が一面試験ならば面接は全面試験だからだ。ある受験生は面接で圧倒されて、泣きながら出てきた。私も面接で本当に汗をかいた。

 

 面接の教授は、私がどれほど知っているかを試すために厳しかった。私が入った半導体工学部は、金策工大で核物理工学部と双璧を成す核心学部だからだろう。北朝鮮では数学を代数と幾何に分けて学んだ。代数、幾何公式問題を集中して問いかけ、詰まりなく答えると、その公式で計算しろという意味で、突然、拳の体積を計算して出せと言った。代数の公式と幾何の体積公式では、屈曲の多い拳の体積計算をできない。できることは目測しかなかった。正確な計算式が浮かび上がらず、汗が流れた。ここでお手上げという絶望の末、ひらめいた。このひらめきは教科書にはなく、図書館で見た本の中にあった。古代の数学者が金の王冠製造方法を浴場で考案したことを思い出した。水を満たした容器に拳を浸すと、その体積分だけ水が流れだす。その水の体積が拳の体積だという正確な答えを出した。図書館がビルゲイツを生んだように、私も今の私になれたのは学校や大学の勉強よりも図書館だと思っている。

 

 教授は顔色も変えず次の質問をした。大学試験にしてはあまりにも離れた奇妙な質問だった。全世界に社会主義国がいくつかという質問だ。当時17歳の学生にはあまり関係ないような質問だった。しかし、簡単に答えることができた。「13ヶ国ですが、ユーゴを修正主義として除外すると12ヶ国です」と具体的な説明まで添えて一気に答えた。父親に配られた党機関紙<労働新聞>を毎日のように読んだおかげだった。

 

 その次は、あまりにも過度な哲学的な質問をした。「物質とは何か」おそらく目に見えるものが物質であると答えたら不合格だった。これも順風に乗った船のように戸惑うことなく答えた。物質とは、意識外に存在する客観的実体である。これは哲学で定義されたもので、父親の共産大学哲学教材(チュチェ哲学)を読んだおかげだった。

 

 面接の教授は、笑顔を作った。暗記した知識が試験の鍵と評価された時期、教科書より他の本をどれだけ読んだか、また知識より創造性をより重要視していたのだ。しかし、これで決まった訳ではない。大学入学の最終決定は大学ではなく党だ。中央大学は中央党で、地方大学は道党で決定する。党は学生と教授が何をしようが飛び越えられない領域だ。

私はその領域に入らない対象だった。父親が南朝鮮出身だからだ。これは人生最大の不幸だったが、全人生で見れば幸いだった。

 

 このような不可抗力的な北朝鮮を脱北できたからだ。これが数千の倍率で入る中央大学ではなく、2千万北朝鮮人の中で一人当った宝くじ人生だった。

 

1974年3月、ベールの中の「偉大な首領様の息子」を初めて見た

 1970年代半ばまで、金日成の息子を見るとは考えられなかった。しかし、私は金策工大入学試験を受けた1974年3月に見た。試験だけに集中していたが、それでも先輩たちの影響を受けた。受験生を先輩の寮の部屋ごとに配置して寝食を共にさせたからだ。

 

 驚いたのは、先輩大学生の70%が大人だということだ。私たちは17歳だったが、先輩たちは30代後半だったからだ。これは、政策上除隊軍人を主に受け入れたからだ。だから私たちのように直接抜擢された学生は、大学に行くのが大変だった。

 

 長期軍服務のため、大人の大学生は基礎実力さえ不足していた。ある特殊部隊出身の除隊軍人は、試験用紙に自動歩銃(人民軍主力銃AK 47)の絵を描いたのに合格したという。こういう大人の大学生に、直接抜擢された学生が担当教師として配置されて学習指導する実情だった。それで、大人の大学生は私たちを尊重した。勉強しながら我知らずに机で寝てしまい、目を覚ますとベッドに横になっている。大人の大学生が親しく寝かせてくれたのだ。

 

 これら大人の大学生は学業の実力は低かったが、社会での実力は高かった。政治に関心度がとても高かったのだ。それで、想像もできなかった「偉大な首領様の息子」を見ることになった。

北朝鮮の大学に唯一配布される雑誌が『大学生』だ。その後表紙では、必ず全国最優等生たちを紹介していた。

 

 それで、学生の中には後表紙に出た女子大生に手紙を送って妻に選んだりもした。いずれにせよ大人の大学生たちがひそひそ話で一枚の写真を教えてくれた。それが受領様の息子だということだ。

首領様の息子と書かれていないのに、彼らは確信をもって話した。それが1974年3月だったので、その前に出版された大学生雑誌だった。紹介された写真は金日成総合大学の金平日だった。驚くほど金日成に似ていた。

 

 大人の大学生はまたささやいた。首領様の息子だから、よく勉強すると紹介するのだが、

実際には実力が低いということだ。首領様の息子だけでなく、金日成大学生は全般的に金策工大生より実力が低いという。なぜなら、幹部たちがバックで実力未達生が入学するからだそうだ。これは本当に正しい。

 

 私も大学ポントを得る試験で優秀な点数でも排除され、代わりに比較もできないほど低い点数の幹部の子供たちが選ばれたことで、学校の先生や父親が大騒ぎを起こしてやっと受けてきたからだ。

金策工大生たちは金日成大学生と凄い競争意識を持っていた。勉強も金大生より優れ、大学別体育競技の時も常に勝った。それで金大から八百長の交渉までしてくるという。首領様の名を持つ大学を意識して、ちょっとは負けてほしいということだ。どこまで正しいか経験したことはないが、当時の大学先輩たちの話だった。

 

訳:北朝鮮難民救援基金

 

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