タイとミャンマーとの国境地帯にあるミャンマー難民キャンプの実情は複雑である。その複雑な事情を理解した上で、ミャンマー難民支援を行っていくことが必要である。そこで、この誌面を借りて、タイとミャンマーとの国境地帯にあるミャンマー難民キャンプの実情を報告したい。
ミャンマー難民キャンプは、歴史的な結果によって、以下の5通りに区分できる。
第1は、ミャンマー内戦が激しかった1980年代に、タイ国内に逃げてきた人々による難民キャンプで、現在でも、タイ国内に存在している難民キャンプ。
第2は、2021年のクーデター以降に、タイに逃げてきた人々によるタイ国内の難民キャンプ。このキャンプは2024年1月に タイ政府によって閉鎖された。
第3は、第2のタイ国内のキャンプが閉鎖されたのちに、タイとの国境沿いに作られたミャンマー国内の難民キャンプ。
第4は、2021年のクーデター以降に、ミャンマー国内のタイとの国境沿いに作られた難民キャンプ。
第5は、ミャンマーの都市部から、周辺地域に避難した人々によって作られたミャンマー国内の難民キャンプ。
第1の難民キャンプは、現在でもタイ国内に6か所存在し、合計20万人程度のミャンマー難民が暮らしている。タイ政府は、歴史的経過から彼らを特別に保護する対象としている。ミャンマー国内に和平が訪れた際に、タイ政府はミャンマー側に帰還させようしたが、クーデターによって、その帰還は中断したままになっている。
タイ政府によって厳重に管理され、部外者が入るには、タイ政府の許可が必要である。タイ政府の許可を得て、多くの国際NGOが難民キャンプ内で様々な支援事業を行っているが、十分とは言えない。
難民キャンプでの生活環境は劣悪である。電気、水道、ガスといったライフラインは整備されていない。現在でも料理には薪を使っている。学校や病院も難民キャンプ内に作られているが、十分な施設環境とは言えない。タイ政府は、難民キャンプ内にセメントや鉄筋を使った恒久的な施設の建設を認めていないため、学校や病院の施設も、すべて簡易的に竹で作られた建物である。難民たちは、雨が降れば雨漏りと床への浸水に耐えながら、過ごしている。
問題は、こうしたキャンプで生まれて育った子供たちが大勢おり、彼らは基本的に難 民キャンプ内でしか生活できないことにある。成人となり、仕事に就こうにも、難民キャンプ内では肉体労働ぐらいしかないのが現状なのである。

第2の難民キャンプは、2021年2月のクーデター以降、ミャンマー内での戦禍を逃れる人々によって、タイ国内に難民キャンプが作られた。しかし、2024年1月に、タイ政府によって全員ミャンマー国内に強制的に帰還させられ、現在では閉鎖されている。タイ政府は、第1のキャンプとは異なり、人道的な見地から、あくまでも臨時的な措置として保護するということであった。そのため、居住環境は、第1のキャンプ以上に貧弱であった。
今後のミャンマー国内の戦闘状況によっては、再び、こうしたタイ国内の難民キャンプに多くのミャンマー難民が避難してくることが予想される。
第3と第4の難民キャンプは、タイ側に逃げない人々や、タイから強制的に帰還させられた人々によって、タイとの国境沿いの各地に作られている。そのため、常にミャンマー国軍からの攻撃にさらされる危険性がある。ミャンマー国軍による攻撃の主なターゲットは、ヤンゴンやマンダレーなどの都市部から逃げてきた若者で、少数民族組織によって武装訓練を受けたPDF(人民防衛隊)のメンバーである。
キャンプ内の居住環境は、電気、水道、ガスといったライフラインは整備されていないために、劣悪であることは他の難民キャンプと同じである。ただ、タイ国内の難民キャンプとは異なり、セメントや鉄筋を使った施設建設が可能なので、タイまた多くのキャンプが山岳地帯にあるため、バイクや徒歩などでの輸送となるために、十分とは言えない。
国内のキャンプよりは、その点では恵まれている。学校や病院で必要な物資のほとんどは、タイからの輸入である。この難民キャンプにも、国際NGOが食糧や医薬品などの支援をるが、タイからミャンマーとの国境を越えなくてはならず、また多くのキャンプが山岳地帯にあるため、バイクや徒歩などでの輸送となるために、十分とは言えない。

第5のキャンプは、日本で報道がされることは稀であり、日本人はアクセスできないため、その実態ははっきりとしない。現地関係者からの情報によると、ミャンマー国軍の攻撃を避けて都市部周辺に逃れた人々のキャンプは、他のキャンプと比べても劣悪であり、特に衛生面が問題とのことである。その理由は、常にミャンマー国軍の攻撃にさらさられていること。支援物資はタイ側からしか届けられないが、そのルートは遠く危険であるため、国際NGOによる支援が届かないことである。また、戦闘の状況によって常にキャンプ地も変化するし、情報が限られているため、国際的な関心を呼べないことが大きい。
難民キャンプは以上のように類型できるが、さらに、複雑なのは、歴史的な経過の違いから、タイにおける難民の在留資格が個々人によって異なることである。
第1の難民キャンプに居住しているミャンマー難民は、個々人の事情によって、労働や移動許可を受けることができる。ただし、キャンプ外の地域に移動するような場合には、その都度タイ政府の許可が必要である。
第2の難民キャンプの場合は、あくまでの臨時避難所という位置づけから、そうした労働や移動の許可は下りなかった。
第3と第4の難民キャンプの場合は、タイとミャンマーとの国境の移動は、現地の状況次第で可能である。もちろん、タイ国内での移動や労働の許可は下りない。
第5の難民キャンプの場合は、そこを脱出し、第1や第3、第4のキャンプに滞在することはできるが、タイ政
それ以外にも、ミャンマー側から逃げて、ひっそりとタイ国内に隠れているような難民もいる。その数や実態は明らかではなく、タイ政府としては、キャンプ外に住む難民を不法移民として取り締まる対象としている。それは彼らが麻薬取引などの犯罪に手を染めかねないことや、不法就労者となることを懸念しているからである。
あるいは、クーデター前後に合法的にタイ側に移住した多くのミャンマー人が、タイに合法的に居住している。彼らの中には、タイの国籍あるいは永住権を持っている人もいる。そうした人々は、タイ国内の移動や就労は自由である。
こうした複雑な事情があるのは、タイ政府がミャンマー難民を、難民条約に基づく難民とは認定せず、あくまでも人道的見地から臨時的に保護する対象としているからである。それに対して、UNHCRや国際NGOなどから改善要望がしばしば出されるが、タイ政府としては苦慮しているのが実態である。その理由は、タイが置かれている地勢的な環境に由来する。
インドシナ紛争が激しかったころ、隣国のカンボジア、ラオスから難民が大量にタイに逃げ込んできた。インドシナ紛争が収まった後にも、経済的な格差のために、ミャンマーやラオスから不法移民が絶えずタイに入国してきた。そうした難民あるいは不法移民に対して、タイ政府は人道的に保護する一方で、不法就労をするような場合には、取り締まりと強制送還を実施してきた。しかし、ミャンマーやラオスとの国境は現地の人たちにとってはないにも等しいため、彼らは不法入国しては捕まり、そして強制送還されても再び不法入国することを繰り返しているのが実態である。
バンコクの出入国管理局には現在でも大勢の不法滞在者が収監されている。彼らは強制送還の順番待ちだが、いずれまたタイに戻ってくることを考えているし、実際にそうしてきた。タイ国内ではそうした不法滞在者が建築現場や農場などでの低賃金で過酷な労働を引き受けることから、表向きはともかく、必要とされる対象でもあるからである。
こうした隣国との関係があるタイであるから、ミャンマーのクーデター以降に大量に発生したミャンマー難民に対しては、人道的に保護する一方で、不法滞在者として強制帰還の対象とするといった、便宜的な対策をとってきたし、これからもそれが続くであろう。
タイ政府にとって重荷になっているミャンマー難民ではあるが、人道的見地から国際的支援を必要としている存在であることには変わりはない。いつミャンマーが平和と安定を取り戻すことができるかは、まったく見通しが立たない。終わりの見えない支援ではあるが、目の前にある人道問題に対しては、できる限りの支援を行っていくことが大切ではないだろうか。