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朝鮮半島有事事態と難民問題②

「外国人労働者の共生・統合政策が必要」(水上洋一郎氏)
「日本は北の海上避難民も助けて欲しい」(安明哲氏)

韓国・平昌の冬季五輪を直前に迎えた日本は今、安全保障に関わる朝鮮半島有事事態と向き合っています。
北朝鮮からの脱北者支援を目的にする当基金では、2017年10月28日(土)、東京・港区芝大門の人権ライブラリーにて、「朝鮮有事事態と難民問題セミナー」を開催。今回で2回目を迎える当セミナーでは、元東京入管局長の水上洋一郎氏と元北朝鮮政治犯収容所警備員の安明哲氏(韓国NKウオッチ代表)より、北朝鮮の実情と政府の難民対応策をお話いただきました。

ベトナム難民で内向きから外向きに
ベトナム難民は1975 年4月 30 日、 南ベトナムのサイゴ ン政権崩壊と同時に発生したボートピープルに始まるとされています。

ベトナム難民で内向きから外向きに 「ベトナム難民を受け入れた日本の経験」と題し 講演された水上氏は、朝鮮戦争当時の日本の難民政策について触れ、「当時日本には、難民受け入れの法的な枠組みも、予算も、宿泊 施設も、人も何もない」状態で、施設は有っても法律の建前から使用を断られたという。
日本の難民政策は、こうした内向きの姿勢から、人権・人道に沿った外向きへの改革の歴史を辿り、紆余曲折の末、1978 年4月 28 日に「定住受け入れ」を閣議了解され、1979 年 11 月、「アジア福祉教育財団」に難民事業本部が発足した。

「僕が言いたいのは、先進国として難民問題にそれ相応の責任を果たさなければいけないと言うことです」。水上氏はそう熱く語った。

代表国際人権規約、難民条約批准、内外人平等
この間に、日本は国際人権規約、難民条約を批准し、加入。入管の法律も、『出入国管理令』から『出入国管理並びに難民認定法』へ変わり、難民条約中の社会保障では「内外人平等」原則が適用され、関連法が次々に改正された。

水上氏は、「批准の影響が非常に大きい。植民地政策の結果、日本に残留せざるを得なかった人達、その子孫まで人権保障が進展した」と評価。また、難民や外国人労働者受入れの課題について、氏は「社会の構成員として、どういう役割を担ってもらうか、どのように共生するか、どの様に社会に包摂していくか、統合していくかの政策が抜けていることが問題」と指摘。同時に、一番の問題は在日コリアン。 二番目は難民、三番目は日系人とも。「非常に苦労してきた人達に対しても、きちんと問題を押さえる事が、今後、益々重要になる外国人受け入れ、移民問題の参考になる」と語る。

あわせて、1994 年の「第一次北朝鮮核危機」の対応策にも言及。朝鮮戦争時の密航者数、北朝鮮帰還運動での帰国者数と南ベトナム政府崩壊時の出国者数を参考に、北朝鮮の当時の人口 2200万人に5%をかけて出国者数 100 万人を導き、同氏によると、「少なくて10 万、多くは100万という数を頭に入れて対策を考えた」と明かす。

日本語教育の必要性を尋ねると、水上氏は「定住 促進センターでの職業教育と日本語教育は一番長くて6ヶ月だが、これでは足りない。日本語教育は『いつでも、どこでも、誰でもできる方策』を立てなければいけない」と述べた。

北朝鮮の崩壊は始まっている
「その時北朝鮮国内では何が起きたのか」と題して講演した安氏は、5つの政治犯収容所で警備を担当、現在は北朝鮮の人権 NGO「NK ウオッチ」代表を務めている。

安氏は昨年 10 月 7 日の朝鮮労働党中央委員会で語った内容などを基に「金正恩は核を絶対に放棄しない」と明言した上で、「民衆の生活は、中国との間の密輸入が 個人を中心に禁止され、一般民衆は生活が苦しい。北では、再び『自力更生』『難苦奮闘』 が叫ばれ、『苦難の行軍』の始まりを示唆しており、 北の崩壊が始まっている」と報告。 有事の際の日本の拉致被害者、特定失踪者の安否と、北朝鮮帰国者の脱出については、安氏は日本政府への要望事項として「韓国にも拉致被害者はいる。 北有事の場合は、船舶を出して避難民を救助してほしい」と述べ、日本政府に北朝鮮難民の保護を求めた。
(文責:佐伯浩明)

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